ありぎりす の徒然日記

アクセスカウンタ

zoom RSS 私はそれを許せない

<<   作成日時 : 2012/10/25 17:55   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

今回は、前回のブログで書ききれなかった分を補足します。

私は前回のブログ『産経批判 』で、産経のコメンテータと
元自衛隊航空幕僚長の発言をとりあげた。

彼らの発言そのものが、無慈悲で非常識で醜悪なのは
あらためて言うまでもないが、そればかりでなく、その背景、意図にも
問題がある、と私は考えている。

おそらくそれは、
 米軍の日本駐留の継続、日米軍事同盟、
 オスプレイの配備、などの重要性に比べたら
 米兵の沖縄女性に対する性犯罪など、
 とるにたらないことだ。
ということだろう。

私自身は、米軍の日本駐留が必要だ、とも
オスプレイが日本の防衛に有用だ、とも考えてはいない。

しかし仮にそれらが有益だったとしても、
沖縄女性が性犯罪の犠牲者になっても
しかたがない、ということにはならない。

私は、こういう類の
 「犠牲は必要だ」とか
 「犠牲はつきものだ」とか
こういった考え方が大嫌いだ

しかし残念ながら、こういう考え方は、とても古くて根深い。

辞書で「犠牲」という言葉を調べてみてほしい。
広辞苑では一番目に「いけにえ」と書いてある。
古代から人類は、豊作祈願、天候回復、建築工事の成功など、
自分たちの利益や繁栄のために、立場の弱い他人を、
「生贄」「人身御供」「人柱」にしてきた。

そして現在・・・
米軍基地は沖縄に押し付け、
原発のリスクは地方に押し付け、
事故を起こした原発では、立場の弱い下請け作業員たちが
賃金をピンハネされながら働かされている。


こうしたことを見過ごしにしておくことは、
貴族の生活を支えるために「奴隷制度」を肯定するようなものだ。
あまりにも前時代的ではないか?
私はそれを、極めて卑劣で不公正なことだと思う。

「犠牲は必要」という古い迷信から抜け出して、
犠牲が必要になるような悪い状況に陥らないように智慧を絞って、
誰もが犠牲にならない社会を目指すべきではないのか?


こういうことを書くと、たいてい「理想論だ」「非現実的だ」「偽善的だ」と
言う輩が湧いてくる。

しかし・・・

 「理想」というのは実現すべき目標のことであって、
 実現不可能な絵空事ということではない。

 「現実的」というのは、「理想」に向かって、
 今現在できることをする、ということであって、
 悲惨な現実を受け入れて諦めてしまうことではない。


現在日本では、若者の非正規雇用、ワーキングプア、
過労死など、雇用環境が悪化し社会問題化している。

「犠牲は必要」という迷信を野放しにして、
「奴隷制度」を黙認して、他人が犠牲にされる
事件などに鈍感なままでいたら、
必ず、私たち自身や大事な家族、友人などに、
企業とか国とか軍隊とかの「生贄」にされる順番が
回ってくることになる。

私はそんなことは許せない。

だから、「犠牲は必要」という迷信を批判することは、
歴史の改竄を批判することなどと同じく、
私にとって、「小さなこと」でも「価値の無いこと」でもなく
極めて重要なことなのです。

そんな主張をしてみる ありぎりす であった。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
私はそれを許せない ありぎりす の徒然日記/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる