ありぎりす の徒然日記

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zoom RSS 狂信者たちに牛耳られた日本でいいのでしょうか?

<<   作成日時 : 2014/02/05 14:19   >>

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今回はこちらのニュースを取り上げます。
 【毎日新聞 2月5日】
 『<NHK経営委員>新聞社拳銃自殺事件を礼賛』
vvvvv 以下一部引用 強調byありぎりすvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
 自殺した元幹部は新右翼「大悲会」の野村秋介・元会長(当時58歳)。警視庁公安部などが銃刀法違反容疑で同氏の自宅などを家宅捜索した。長谷川氏は元幹部の没後20年を機に発行された追悼文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛。野村氏の行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と憲法が定める象徴天皇制を否定するような記載をしていた。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

NHK経営委員の埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏、
専門は「比較思想」「日本文化論」で本居宣長などを研究、だそうな。
まぁ、本居を研究対象にするな、とは言いませんが、心酔しちゃあいかんでしょ。

天皇自身の「人間宣言」を否定し、
 「今上陛下は現御神」(あきつみかみ)となられたのである」
などと言うのは、笑止千万とゆうか、彼女らの流儀に倣うなら、
「僭越にして不敬」であろうよ。
ダブスタ(自己矛盾)が狂信者のスタンダードなんでしょうか?

本居の死後、後継者を自称した平田篤胤は神秘主義に傾倒し
国家神道の祖となりました。

そして、平田篤胤の後、日本政府と大本教が神道の主導権を争い(内容は大差ない)、
大本教は弾圧され四散(「生長の家」「真光」などの新興宗教に分裂)。
戦後、国家神道の残党は「神社本庁」として存続。

実は、安倍政権を支える右翼団体の「日本会議」はこれらの宗教団体がベースなのです。
 『カルトが支配する日本 』


どうでもいいけれど、日本の国家神道なんて、たかだか200年足らずのものにすぎません。
「日本」とゆう国家概念にしても似たようなものです。
それ以前、「国」とゆうのは、「相模の国」とか「越後の国」といった狭い概念でしか
なかったのではないでしょうか?

きっと、近日開催されるソチオリンピックで、「ニッポン」を連呼するであろう人たちは
ちょっとそうゆうことを考え直してみるといいと思います。

最後に私から皆さんに質問です。
 NHKばかりでなく、狂信者たちに牛耳られた日本でいいのでしょうか?

そんなことを問いかけてみる ありぎりす であった。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
経営委員の国家概念は狂信的ですね。しかしあなたの国家概念も逆の意味で偏狭です。相模国などは奈良時代から地方や郷の意味で使われていたのではないでしょうか
聖徳太子も日の出国と現在の国家概念と大差ない考えだつたことが推察されます。中庸が大事です。
上野国
2014/02/05 18:41
上野国さん、はじめまして。
おっしゃる通り「サガミ」とゆうのは古い言葉です。
元々の語源は「サの神」、作神、稲作の神、かと思います。
つまり、稲作文化と同じくらい古い。
「相模の国」とゆうのも、さの神の御座す場所、
稲作の盛んな土地、とゆう意味合いが濃いのでは
ないでしょうか?
これは、国家概念とはちょっと違うものでしょう。
「日の本」とゆう言葉も古くからあります。
しかし、近代国家「日本」とゆうのは、
明治維新以後言われるようになったもので、
それほど古くからあるものではない、とゆうことを
私は申し上げているです。

上野国さんは「中庸が大事」とおっしゃるけれど、
狂信的な「トンデモ言説」を一緒くたにして、
間をとってみても「中庸」になどなるわけがありません。
ありぎりす
2014/02/06 10:16

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