ありぎりす の徒然日記

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zoom RSS 標語と戦争

<<   作成日時 : 2015/03/18 19:16   >>

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今回はこちらのニュースを取り上げます。

 【東京新聞:2015年3月17日】
 『「八紘一宇」を礼賛 参院予算委で自民・三原氏』


 【朝日新聞:2015年3月16日】
 『三原じゅん子氏「八紘一宇は大切な価値観」予算委で発言』


えぇぇとぉ・・・・・
グローバル企業の租税回避の問題と、
「八紘一宇」がどう関連するのやら、
私には到底理解できないのですが・・・

「八紘一宇」とゆう言葉の意味は
 (宇は屋根の意)世界を一つの家とすること。
 太平洋戦争期、日本の海外進出を正当化するために
 用いた標語。
 日本書紀の「兼六合以開都、掩八宏紘而為宇」に基づく。
 (広辞苑)


それで、どうしてこの言葉が問題になるのか、とゆうと。
第二次近衛文麿内閣が決定した「基本国策要綱」の中で、
大東亜共栄圏建設の理念として用いられた言葉だからです。


アジア・太平洋戦争での日本の指導者としては、
東条英機が有名ですが、日中戦争を始めたのも、
和平の機会を潰したのも、近衛文麿内閣でした。 (´∩`。)

ちなみに近衛文麿は軍人ではなく貴族政治家。

「文民統制」なんてぇのも、当てにはなりませんね。 ┐ (´ー`)┌

ここで、ちょっと日本が戦争にのめり込んで行った歴史と、
当時使われた標語、スローガンを振り返ってみましょう。

五族共和
 元々は辛亥革命の標語。
 五族とは、漢、満、蒙(モンゴル)、回(ウイグル)、蔵(チベット)。
 それを満州事変後に日本が傀儡国家、満州国を1934年に
 建国した際に、五族共和を標榜。つまりパクったのね。
 あと、五族の中に日本が無いんだけど、日本は五族の上に
 君臨するつもりだったのかな?

暴支膺懲
 第一次近衛内閣(1937年6月4日〜1939年1月5日)において
 1937年7月7日盧溝橋事件
 1937年8月13日上海に二個師団を派遣、同日戦闘状態となる。
 「暴支膺懲」は1937年8月15日の政府声明で用いられた言葉。
 意味は、暴虐な支那を懲らしめる、とゆうこと。

挙国一致
尽忠報国
堅忍持久
欲しがりません勝つまでは
パーマネントはやめましょう
石油の一滴、血の一滴
全てを戦争へ

など
 1937年10月12日国民精神総動員中央連盟発足。
 「国民精神総動員運動」とは、近衛文麿内閣による
 戦争協力の思想教化運動。
 1939年3月24日には国家総動員法案が議会を通過。
 国民精神総動員運動はのちに「大政翼賛会」へ引き継がれる。

国民政府を対手とせず
 1937年12月13日南京陥落。大虐殺・・・(;_;)
 ドイツの仲介で、日中間で和平交渉(トラウトマン工作)が
 行われていたが、1938年1月16日近衛文麿内閣は、
 「国民政府を対手とせず」と声明を発表し。
 ドイツ大使に和平交渉の打ち切りを通告。
 18日「対手とせず」の意味について政府は
  「対手とせず」とは「否認」よりも強い意味で、
  「否定すると共に、之を抹殺せんとするのである」

 と補足声明を出した。
 これにより、日中戦争は出口を失った。
 (最近も、「テロには屈しない」とか「テロリストとは交渉しない」
  とか言って、同胞を見殺しにした政権があったよね。)

東亜新秩序建設
 1939年11月3日近衛首相「東亜新秩序建設」声明。

八紘一宇
 第二次近衛内閣(1940年7月22日〜1941年7月18日)
 1940年7月26日閣議で決定された「基本国策要綱」の中で
 用いられた。

贅沢は敵だ
 1941年4月1日生活必需物資統制令公布

鬼畜米英
 東条英機内閣(1941年10月18日〜1944年7月21日)
 1942年12月8日日本軍はハワイ真珠湾を攻撃。

一億玉砕
 1944年6月ころ、戦局がもはや絶望的になってくると、
 軍部は「本土決戦」を主張。


戦前の日本は、
 「支那なんて弱虫だから一撃喰らわせればすぐに降参する」
と考えて戦争を仕掛けたのです。
しかし、頑強な抵抗を受けて、和平交渉の道も自ら閉ざし、
1年半後には「国家総動員法」です。
戦争を継続する国力もないのに、その上さらにアメリカ、
イギリス、オランダなどを相手に戦争を拡大していったのです。
その挙句、最後には、全国民を道連れに「一億玉砕」などと言う。

到底正気の沙汰ではありません。

「挙国一致」とか、「空気読め」とか、
全体主義、同調圧力って、
嫌ですねぇ、怖いですねぇ。

そんな中で使われた言葉、方針の一つが「八紘一宇」だったのです。
世界を家とし、日本がその家長として君臨するとゆうことです。

今回、三原じゅん子議員が得意気に語った
「八紘一宇」とはそうゆう言葉なのです。
 【YouTube】
 『三原じゅん子 日本が建国以来大切にしてきた価値観「八紘一宇」
 

ついでに書いとくと、「八紘一宇」とゆう言葉は、
『日本書紀』の文言を戦前の宗教家、田中智學が
縮約して作ったものなんだそうです。
一家、家族を大事に、宗教・・・・・
思わず『統一教会』とか『日本会議』とかを連想しちゃいます。
三原議員は、誰からこの言葉を教わったんでしょうね?

現在、安倍政権は、
 「戦後レジュームからの脱却」
とか
 「積極的平和主義」
とか言って、平和憲法を勝手に解釈し、軍事費を増やし、
戦争の準備を進めています。
景気の低迷が続き、国民は窮乏し、財政は破綻寸前なのにです。
「この道」を進んだ先に待ち受けているのは、
 一億二千万玉砕
に違いありません。
一刻も早く、「この道」を引き返さなければいけません。


おまけ:
 新聞などでは報道されないけど、動画を観ると、
 三原じゅん子議員の質問だけでなく、
 麻生太郎副総理の答弁が、これまた酷い。 (´∩`。)
vvvvv 以下 一部文字起こし 強調byありぎりす vvvvvvvvvvvvvvvvvv
世界の中で、1500年以上も前から少なくとも国として
今の日本という国の同じ場所に同じ言語を喋って
万世一系天皇陛下とゆう国は他にありませんから
日本以外でこれらができてるのは10世紀以後にできた
デンマークぐらいがその次くらいで、五世紀から少なくとも
『日本書紀』とゆう外交文書を持ち、『古事記』ってゆう
和文の文書をもってきちんとしている国ってそうないんで
そこに綿々と流れているのは多分こういったような考え方
であろうとゆうことで、この清水さんとゆう方が書かれたんと
思いますけれども、こういった考え方をお持ちの方が三原先生
みたいな世代におられるのに、ちょっと衝撃、驚いたのが実感です。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

「大和(ヤマト)政権」の成立は4世紀頃。
その「大和政権」が現在まで継続してきたわけではありません。
天皇家も「万世一系」なんてことはありません。
命を継いできた、とゆうことなら、この世に生きとし生けるもの
そのすべてが、30億年以上の年月、命のバトンを受け渡してきたのです。
天皇家だけが特別なんてことはありません。
『古事記』『日本書紀』が出来たのは「五世紀」ではなくて、
八世紀の初め。
『日本書紀』は「外交文書」ではなくて、歴史書。
それも、「大和政権」の正当性を喧伝する目的で、
作られたもの。

あまりの出鱈目ぶりに、呆れ果てます。

でもまぁ、いまさら「衝撃」も「驚き」も感じませんけどね。
なんせ、「ナチスに学べ」なんて言う人ですからね。

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